たてぶろ

たてはが思っていることをつらつらと書くだけです。

不揃いのものを、このままでよいのだとゆるしていく

完璧主義のwikipedia読んできましたけど、やっぱり先延ばしにしちゃうという現象があるようです。

完璧にできるようになるまで人に見せたり、実行したりしないので、その結果経験を積めなくて技量が上がらず、実行の段階にもっとうつれなくなるのだとか。

あとは、片付けできない完璧主義のひとは、100%にできないので、もう0も80でもどっちでもいいわwwwという思考らしい?

 

たしかに、わたしには ”できていない” 状態から目をそむけようとする傾向がある。

具体的には、「あーー◯◯できてないなーーーーー…でもめんどいしゲームしよw」といったかんじです。(ガチマッチを2時間キレながらやります)

あれこの後回しは、ただのめんどくさがりですね!?

 

他には、毎日続けてることとか、すべて揃っているものがひとつ欠けると、一気にどうでもいいや〜、となることがある。

昔、お気に入りの本のカバー裏を汚されて、その本に価値を感じなくなってしまったことを思い出しました。そのようなことは考えだすといくつも思い当たる節がある。

ちょっと完璧主義と呼ぶのはおこがましい(なにも完璧じゃないので)けど、完璧を求めるがゆえに、そうでないものに価値を感じていない傾向はたしかにあります。。。

 

対処法としては、やっぱり行動と理想のハードルを下げることですよね。

行動の面では、勢いにまかせて行動するというのに過去何度か成功していて、帰宅時に、コートを脱がずに、次の日のゴミのビン・カンなどを出すと成功しやすいです(。-_-。)

あとは、今わたしはフロアベッドとローテーブル・座椅子生活をしているんですが、これは立ち上がるのに普通の椅子よりエネルギーを使うのでマジで失敗だったと思っています!!!!!これはおすすめしません!!!!!!

 

それから、理想の面では、100点じゃなくてもいいので、ちょっとだけやること。

これは結構むずくて、100点だと結果目に見えてわかるんだけど、そうじゃないとなんかよくわかんないです。

例えば片付けなら、一回リセットしてきれいにしちゃえば〜と思うんだけど、これも完璧主義的な考え方ということに気づいた。できるならいいけど、わたしにはできないので、無理はしないこととします。

実際、引っ越した時はきれいだった?はず?の部屋がごちゃごちゃとものであふれているし、リセットしてそれを保つ作戦もわたしにはむり(。-_-。)

おうちを100%綺麗に保ち続けることなどわたしには無理なので、よいバランスを探っていきたい。

家計簿とか全部つけなきゃ意味ねえな?と思ってしまうんだけど、今もってる金額がわかれば使った金額なんてわかるはずだし、何に使ったか100%正確にわからなくても、一部使途不明金があってもよいかのか〜。

もっといろんなことで、自分や不揃いのものを、このままでよいのだと許していくことを心がけていきたいと思います(ただし怠惰な自分に対してはもっと頑張れと鼓舞していきたい)

 

まあこんな、なぜだらしないかの考察をするよりも先に行動したほうが早いんだけどwこんなことを書いているところからも、やる前にいらんことばかり考えるという性格がにじみでているwでも、ここでうだうだ考えて長々と文章を書くのがわたしらしくてよいところでもあるはずなのでゆるしてやろうw